私自身の初めての異文化体験は、私が18歳の時でした。広島の公立高校を卒業して、さしたる目的意識も無い中で、アメリカ東海岸にある全校生徒650名の小さな大学に入学したのが、生まれて初めての海外渡航でした。「4年間頑張るぞ!」と、思って日本を出発したのですが、実はそれまでの日本の生活の中で何一つ努力らしい努力をしたこともなかった私は、アメリカ到着の4か月後、1学期終了と同時に成績不振による警告書を受けてしまい、いきなり退学の危機に陥りました。 

 「こんなはずではなかった。」という後悔の中、日本に帰る航空券を買うお金もなく、大学を出てアパートを借りるお金もないし、なんともカッコ悪い絶体絶命に陥ってしまいました。逃げ出す術も見つからないまま、仕方なく次の学期の単位登録を行い、生まれて初めて「できない自分を励ましながら進む」という作業に4か月間取り組みました。

 その結果、次の学期ではギリギリの及第点で退学を免れました。ひどいホームシックに悩まされていた私は、単位を持って転校が可能なアメリカの大学システムを使って、次の学期でハワイに転校。その一年後にはサンフランシスコに転校。そしてそのまた1年後にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に転校して、専門科目の取直しをして2年間の在籍の後、23歳で卒業しました。

 私がUCLAを卒業した1984年は、ロサンゼルスオリンピックの年だったので、卒業と同時にLA五輪の仕事に就き、その後日本に帰国。25才の時に、留学のサポートをする会社を創業し、本業の傍ら、ワールドカップやアジア大会、国連会議等に係る仕事に従事、2001年にこのIYEO青少年異文化交流推進協会を法人化して初代理事長となりました。

 すでに遠い昔のようですが、18歳の時に初めてアメリカの地に降り立った時の事、成績不振の警告を受けて青ざめた時の事、ギリギリの及第点が取れた時のことなどを今も私は鮮明に覚えています。

 我々IYEO青少年異文化交流推進協会は、あの時の私のような、不安を抱えて異国の地に旅立とうとする若者の味方です。異文化交流とは、便利で快適なファーストクラスの旅ではなく、不便で不自由でカッコ悪い道のりだと思います。その不便な環境を自分の知恵と行動で、自分にとって快適な環境に少しずつ変えていく、それができるようになるために快適な我が家を出て旅に出るのだと思います。

 各地に存在する私たちIYEO青少年異文化交流推進協会には、様々な体験をしたカウンセラー達がいます。「彼らの話を聞いてみたい。」、「異文化交流の楽しさと、カッコ悪い失敗談を聞いてみたい。」と、思われたら、IYEOの各地デスクにどうぞご連絡ください。あなたとお目にかかれるのを、楽しみにしています。

 

特定非営利活動法人

IYEO青少年異文化交流推進協会

理事長 吉川浩司

 

【略歴】:

1984年カリフォルニア大学ロサンゼルス校 経済学部 卒業 (UCLA, BA in Economics '84)

FIFA加盟国オセアニア大陸サッカー連盟 日本代理人

2002年ワールドカップ日本招致委員会 国際部員

Australia Education Specialist (オーストラリア大使館認定)

大学 非常勤講師 (福山平成大学、 広島経済大学) 

学校法人 評議員 (広島女学院、 広島インターナショナルスクール)